自費にするのが怖い。。。

こんにちは、整骨院自費導入アカデミー主宰の松村です。

 

講座などでアカデミー会員以外の先生とお会いさせていただくと、多くの先生方が私のブログをよく読んでくださっているようで、私が保険中心の院から自費専門院へ転換した経緯、要するになんの準備も勉強もなく、ただ「来年から自費にします」と告知だけして自費に変え、院が潰れかけたということをご存知の先生が非常に多い。

で、受講生の先生からよく質問をされるのが

 

「先生、怖くなかったんですか?」

 

というもの。

答えを先に書くと・・・・・

 

むっちゃ怖かった!(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

いや、「(笑)」なんてつけてますけど、当時は本当に怖かった。

むっちゃビビってた。

 

でも、それ以上に「怒り」の感情が強かった。

同じレセプト枚数なのに落ちる請求額。
数百円しか払ってないのにワガママ言う患者。
集まっては「厳しなった」「この業界も終わりや」「なんとか自民党に・・・」と言って愚痴かありえない未来の話しかしない業界団体。
この業界をダメにした世代。
その世代の悪いところをさらに悪くした世代。
そして被害を被る我々世代。

全てに怒っていた。

柔整を今の社会的地位、要するに療養費を扱える(正しく表現すると受領委任払い)ようにしたのも、自賠責や労災を扱えるようにしたのも、かなり上の世代。
その世代の接骨院に通い、憧れ、修業したのはそれのひとつ下の世代。
自分たちは散々外傷診て整復もできたのに、それを伝えずモミモミでお金を稼いだ。
その下の世代は、家業を事業にし、ビジネスに発展させたといえば聞こえは良いが、所詮は保険をグレーに、というかもはや現在では不正の領域に入るやり方をベースとしたビジネスモデルであるから、本来は長く続けることなんてできないはずだったのに、バブル時代に国民の多くが、経営者の多くがアホになったように、柔整師もアホになった。
その結果私の世代は、修業時代は散々厳しく、そしてとんでもない給料で働かされ、柔整学校には寄付金を支払い、毎日それこそ命を削って労働したにも関わらず、いざ開業する時期になり、自分がされて嫌だったことはしないようにしようと給料をなるべく支払うようにしていたら、上の世代の子供らは忍耐もなくちょっとイヤなことがあるとすぐ辞めるわ、権利だけ振りかざしてくるわというろくでもないもの揃いになった。

そう、私の世代は上の世代のケツ拭きばっかりさせられてる。

それが本当にイヤでイヤでたまらなかった。

 

その怒りをパワーに変えて、思い切って自費に転換したというのが本当のところだ。

 

しかし、怒ってはみたものの私自身修業時代から開業して7年間の20年弱、患者さんから数百円以上のお金を受け取った経験がなかった。

唯一開業当初に耳つぼダイエットで高額なお金をいただいたことだけで、当時はそれも「ダイエットやから単価高くできるんやろな〜」くらいにしか思っていなかった。

2012年の10月に自費にすると決めてからも、何度も葛藤した。

「やっぱもうちょっと保険でやろかな」

「誰かええコンサルおらんかな」

「俺レベルの治療では無理ちゃうやろか」

ずっと思ってた。
でも、その度にあの怒りを思い出し、患者に宣言した。

すると

「もう来られへん」

「先生とうとう金儲けに走るの」

そんな声をたらふくいただいた。

言ってやりたかった。

「てめえらのワガママを散々聞いてきて、それでも厳しい時代で、本当に怪我してきてても回答書もまともに書かへんで返戻になったりしててこっちに迷惑かけてんのに、まだワガママ言うかこのやろう!」

と。

本当に怒りが増幅した。

 

でも、良い患者さんの反応は違った。

「この院がどんな仕組みに変わっても、先生がいる限りここに通い続けるから頑張ってくださいね」

「そのほう(自費)が助かります!」

「とうとう先生の理想を現実にするんやね!おめでとう!」

こんな声もいただいたし、このようなことを言ってくださった方々は今でも私の院に通い続けていただいている。

 

しかし翌年自費に変えてからは悲惨だったことはこのブログをお読みの先生方ならおわかりだと思う。

 

実はその時も何度も何度も折れそうになった。

「今から保険に戻そうか・・・・」

「いっそ、院を閉めようか・・・・」

そう思った。

それに当時は保険から自費に変えてそれを教えてくれる人なんていなかったし、某大手経営コンサル会社はその昔本当にイヤな思いをさせられたし、人の院のをパクってそれで金取ってるだけだし、雇用系で業界に入ってきたところも胡散臭くて柔整をバカにしてるしで、導いてくれる人すらいなかった。

何度もブレかけたけど、怒りとともに

 

「もうアカン。これは潰れる」

 

となった時に、院を閉めることを考えた。
結構本気で。
どっかに働きにいこうかなと思ってた。
でも、今更人に使われるのなんてイヤやな・・・・と思ってた。
それでもどっかの分院長でも・・・なんて思ってた。

 

実は開業当初、柔道関係ですごくイヤな思いをした。
私の場合は自宅兼治療所なので、自分の家を建て、そしてその下を院にしたのだ。

サラリーマンやってる連中からすると、自分の城を持ち、なおかつ社長になったわけだから散々妬まれた。

「あいつは脱税してる」
「あいつ最近調子乗ってる」

などから始まり、言ってもないことを言ったように吹聴され、ものすごいストレスとトラブルに巻き込まれた。

まあ、今から考えると当時29歳。
私もとんがっていたし、サラリーマンで29歳って同期同士でも色々と格差も出てきたり、結婚して子供小さくて将来に不安抱えてたり、「会社勤め以外の道もあったのでは」と迷いもある時期なので、そんな色々な要素が一気に混ざり合ってもの凄い化学反応を見せたのかもしれないなとは思う。

しかし自費に変えて自分に余裕の無いときはそんなことを思うこともなく、ただそいつらの顔が脳裏に、まるで死の寸前のようにまさしくバーーーーーっと浮かんできて、その瞬間に

 

「もしこのまま院を閉めたら、あいつらは俺のことを『ほら見たことか』なんて言ってバカにしよる。それだけは絶対に許せん!」

 

と弱りきっていた心のエネルギーが湧き出てきた。
そして

 

「どうせアカンかもしれへんねやったら、あがきまくったる!
最後まで諦めんとやってみたる!」

 

そう決意し、良い結果を出すことができた。

あの頃の私は、国家試験前よりも勉強し、どんな治療の勉強後よりも実践した。
正直、目は血走っていた。
寝る暇なんてなかった。

なんせ教えてくれる人はいない。

トライ&エラーを繰り返すしかないわけだが、エラーしすぎるとその時点でジ・エンド。
できるエラーとできないエラーを見極めトライしていくしかない。

私は運が良かっただけなのかもしれない。
上手くいったから。

ひとつ選択を間違っていたら、今頃このブログを書くことなんてなかったのかもしれない。

しかし、運を引き寄せたのもあの頃の私だからではないかとさえ思う。
もちろん嫁さんも必死だった。

夫婦二人でよくやったと思う。

 

アカデミーを作ったのは、そんな怖さを減らすため。

怖さはなくならない。
だって未知なるところへ一歩踏み出すのだから。

でも、知らないところを一人で歩んでいくより、私みたいな人間でもガイドがいるなら少し安心できる。
同じ目的地を目指す仲間がいれば、より怖さは減る。

そのためにアカデミーは存在する。

 

そんなアカデミー、九州に行きます。

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投稿者: 正隆松村

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